永遠のサイキックアイドル――麻宮アテナ

 アテナの様子がおかしい。

 そのことに真っ先に気づいたのは――やはりというべきか――ケンスウだった。

      ◆◇◆◇◆

「……どないなってんねやろ?」
 その声にふと視線をめぐらせたパオは、松の木陰に隠れるようにして立っているケンスウの姿に気づいた。
「?」
 いったい何をしているのかと、パオはそっとケンスウのほうへと歩いていった。
 鎮老師の古い知り合いだという僧侶が住職を務める古刹――といえば聞こえはいいが、要は荒れ寺である。
 その荒れ寺の、苔むした石畳の境内で、アテナがひとり黙々と、習い覚えた型を繰り返し稽古している。
 スピードとかパワーとかといったものとは縁遠い、ゆったりとした流れるような動きである。
 しかし、優雅ともいえるその動きからは、ぴんと張り詰めた緊張感というべきか、鬼気迫るような無言の迫力も感じられた。
「気合い入りすぎやろ、まだ大会まで間があるっちゅうに――」
 どうやらケンスウは、アテナにばかり気が向いていて、パオがやってきたことにも気づいていないらしい。
「ねえ、ケンスウにいちゃん」
「うお!? お、おったんか、パオ?」
 びくっと肩を震わせて振り返ったケンスウは、相手がパオだと判って大袈裟に胸を撫で下ろし、ふたたびアテナの稽古風景に見入った。
「ねえ、どうしたの?」
「いや……アテナがな、もうかれこれ3時間もあの調子なんや」
「えっ? 3時間!?」
 パオは口もとを押さえてケンスウの顔を見上げ、それからすぐにまたアテナに視線を戻した。
「な? あれはいくら何でも根詰めすぎやろ?」
「それじゃケンスウにいちゃんは、アテナおねえちゃんのことを3時間も観察してたの?」
 パオの指摘に、ケンスウは言葉を詰まらせた。
「そ、そらァ、何ちゅうか――」
「やらしー」
 ケンスウが口ごもったところに、いきなり松の枝の上から桃子が上下さかさまになって顔を出してきた。
「うお!? な、何やねん、いつからいたんや、ももちゃん?」
「ケンスウ兄ちゃんが、アテナちゃんをじっと見つめて頬をかすかに染めて、鼻の穴をふくらませてハァハァいい始めたあたりからだよ♪」
「ばっ……だっ、誰がそないなこと――」
「冗談だってば」
 まるでコウモリのように、太い松の枝に足を引っかけてぶらさがったまま、桃子はもぐもぐと肉まんを食べている。ケンスウたちと違って、桃子は老師から中国拳法の手ほどきを受けていなかったが、そのバランス感覚と身軽さは天性のものだった。
 あっという間に肉まんをたいらげた桃子は、危なげもなく木の上から飛び降り、にやりと唇を吊り上げた。
「っていうか、こんなところでじ〜っと眺めてるくらいなら、本人に直接聞けばいいのに。……ケンスウ兄ちゃん、案外ヘタレだね」
「へっ、ヘタレとは何や!」
「じゃあ聞いてきなよ」
「おわっ!?」
 いきなり桃子に背中を蹴飛ばされ、ケンスウは前のめりにつんのめった。

      ◆◇◆◇◆

「ケンスウ……」
 突然ダイブしてきたケンスウに驚き、アテナは動きを止めた。
「わっ、悪い! アテナ!」
 ケンスウは慌てて立ち上がり、あたふたと手を振った。
「稽古の邪魔するつもりはなかったんや! た、ただ、その――根を詰めすぎやないかって……」
「…………」
 ケンスウにいわれて初めて気づいたかのように、アテナは呆然と自分の拳を見つめた。
 ケンスウは軽くほこりを払い、
「……なあ、どないしたんや、アテナ? エラく思い詰めた顔しとったけど、何ぞ悩みでもあるんか?」
「……うん」
 アテナは静かに溜息をつき、本堂の階段に腰を降ろした。
「前からずっと思ってたんだけど……このところ、特にそう思うようになって」
「な、何をや?」
「わたしたちの力って、何のためにあるのかな?」
 真正面からアテナに見つめられて、ケンスウはまた言葉に詰まった。

      ◆◇◆◇◆

 アテナやケンスウは、ふつうの人間にはない不思議な力――サイキックパワーを持っている。
 ふたりが鎮老師のもとで修行を続けてきたのも、いつか現れるであろう巨大な悪に対抗べく、みずからが持つサイキックパワーに磨きをかけるためだった。
 自分の力は悪と戦うためにあたえられたもの――頭ではそう理解していても、アテナに突きつけられる現実はそうではない。
 他人を平気で傷つけ、力でねじ伏せようとする“悪”を前にして、アテナたちにできるのは、それ以上の力でもって“悪”をねじ伏せることだけだった。
 自分たちも、自分たちが“悪”と呼ぶ存在も、力で相手をしたがわせようとする点においては何ら変わりがない。
 ならば――結局は自分たちのこのサイキックパワーも、単なる暴力にすぎないのではないか。
 アテナの葛藤はそこにある。

      ◆◇◆◇◆

「アテナはやさしすぎんねんなあ」
 できるだけ場の空気が深刻になりすぎないよう、ケンスウはおどけたようにいった。
「――オレなんかそないなことで悩んだことあれへんわ」
「…………」
 アテナは膝の上で組み合わせた自分の手を見つめた。
 サイキックパワーを使えば、アテナのこの小さい手は、彼女に数倍する巨漢さえ軽々と投げ飛ばせる。そしておそらく、彼女の真の力はそんなものではない。アテナの中にはもっと大きな力が眠っている。
 どこからか取り出した肉まんをかじりながら、ケンスウは笑った。
「どっかのオッサンの言葉やあれへんけど、そりゃあアレや――あれ、何ちゅうたっけ? り、りき?」
「力愛不二?」
「それや、それ!」
 正義のない力は暴力にすぎず、力のともなわない正義は無力である――アテナが鎮のもとに弟子入りしてすぐに教えられたのが、そんな意味を持つ力愛不二という言葉だった。
「そうか……」
 みんなを守りたいというアテナのやさしさがあるかぎり、わたしの力は暴力なんかとは違う。そのやさしさを忘れて力だけが暴走したりしないように、アテナは修行してきたはずだ。
「そう……そうなんだよね。念じたとたんに世界が平和になるとか、わたしたちのサイキックパワーがそんなに便利なものだったら苦労ないよね」
「せやろ? ほなら、相手と同じ土俵に立って、ブン殴ってでも悪事をやめさせるしかないやん。オレらにできんのはそのくらいやし、それが偽善みたいでイヤだっちゅうんなら、何もせんと家でおとなしくしとるしかない」
「そっか……」
「そや」
 アテナを見つめ、ケンスウがにやりと唇を吊り上げる。つられて、アテナも小さく微笑んだ。
「アテナがそないなこと気にする必要あれへんと思うで。仏さんかて、悪モンに説教するにはブン殴ることも必要やゆうとるのに、オレら人間が同じことしたかて罰は当たらん。オレがゆうとんのやから間違いない!」
「ケンスウったら――」
 自分がへこんでいると、すぐにそれと察してはげましてくれる。ケンスウのそんなやさしさが、アテナにはありがたかった。しばしばそれが空回りすることもないではなかったけれど、彼がアテナにとってかけがえのない存在であることに違いはない。
「さて、と……そろそろお昼にしようか」
 アテナはスカートのほこりを軽く払って立ち上がると、ケンスウに向けて手を差し伸べた。
「――ケンスウは肉まん食べてるからおなか空いてないかもしれないけど」
「メシと肉まんは別腹やで」
 食べかけの肉まんを口の中に押し込み、ケンスウはアテナの手を取った。
 つないだ手から伝わるケンスウのぬくもりが、アテナの心をやさしく満たしていった。

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