奈落の虫
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〈2〉

 行く手をふさいでいたスリット入りのダクトカバーをはずし、レオナはせま苦しい横穴から飛び出した。
「————」
 ほとんど足音を立てることなく、金属製の床の上へと降り立つ。彼女が匍匐前進で進んできた排気ダクトは、床から2メートルもある天井付近にぽっかりと口を開いていたが、この程度の高さなど、彼女にとってはどうということはない。
「……外よりも気温が高いな」
 レオナに続いてダクトから出てきたクラーク・スティルが、薄闇の中に油断なく視線を飛ばしてひとりごちた。
「そ、それはたぶん——きゃっ!」
 クラークのあとから通路に降りようとしていたフィオリーナ・ジェルミは、足をすべらせてお尻から転げ落ちた。
「いたたたたたた……」
「おいおい……大丈夫か、シニョリーナ?」
 クラークは苦笑混じりにフィオリーナを——フィオを助け起こした。
「——スパローズとやらではこの手の軍事教練がなかったのか?」
「も、申し訳ありません、中尉どの」
 自分ののろまさを恨みつつ、フィオは半泣きの顔で敬礼した。
「まあいいさ。おまえさんには、戦闘要員としてより工作員としての腕を期待してるんだ。手違いでここへ送り込まれちまったってわりには上出来だよ」
 そう軽口を叩きながらも、すでにクラークは肩にかけていたカービンライフルを左手に持ち替え、周囲の気配を抜かりなく探っているようだった。
「よし。……先行しろ、レオナ」
「了解」
 言葉少なにうなずき、レオナは小さなオレンジ色の非常灯が点々とともるだけの通路を先に進んだ。
「——で、さっきは何をいいかけてたんだ、シニョリーナ?」
「あ、はい」
 大きなメガネを押し上げ、フィオは緊張に震える声で答えた。

 いったいどういう手違いでそうなってしまったのか、今となっては知るすべもないが、情報部特別工作部隊〈スパローズ〉に所属する上級曹長フィオリーナ・ジェルミは、現在、“隻眼の傭兵”ハイデルン率いる傭兵部隊と行動をともにしている。
 本来の上官からいい渡された命令は、「世界規模の秘密結社〈アデス〉に対抗すべく、おたがいの作戦行動を密にするためのオブザーバーとして、ハイデルン部隊の後方司令部に同行せよ」。——だが、実際にフィオがハイデルンから指示された任務は、すでにオブザーバーとしての範疇を超えていた。
〈スパローズ〉に入隊してまだ間がない自分が、どうしてこんな百戦錬磨の傭兵たちといっしょに少人数での隠密潜入作戦に従事しているのか。
 生来のんびり屋であれこれ深く悩まないたちのフィオでなければ、あまりのその不条理さに、とっくの昔に爆発していたかもしれない。
 しかし、ジェルミ家を継ぐ唯一の跡取りとして父から期待されているフィオには、任務を見事に遂行する以外の道は残されていないのである。

 フィオは腰のポーチから衛星写真の束を引っ張り出し、クラークに差し出した。
「——偵察衛星から撮影した画像を分析するかぎりでは、グランド・モスクの地下には、それに倍する広さの人工的な構造物があることが判っています」
「ふむ」
「それがどういった施設なのかはこれからの調査待ちですが、規模からいって、かなり大型のジェネレーターでなければ電力をまかなえないのは明らかです。ここの気温が外気温より高いのは、ジェネレーターが発する余剰熱が施設内にこもっているからでしょう」
「ご教授ありがとさん、上級曹長どの。——で、ついでに聞きたいんだが、俺たちはこのまま先に進んでもいいのかね?」
「は、はい」
 写真の代わりに細い線が無数に引かれた設計図のようなものを広げ、フィオはペンライト片手に説明した。手違いでつねに最前線で戦うことを余儀なくされてきたフィオだが、もともと〈スパローズ〉では、情報収集と分析を専門とするはずだっただけに、さっきとは打って変わって手馴れたものである。
「衛星写真をもとに情報部で作成した、この地下施設のおよその構造図です」
「俺たちが今いるのはどのへんだ?」
「だいたいこのへんです。この通路は、もとは資材搬入用に使われていたものだと思われますが、このままもうしばらく進むと——そうですね、位置関係からいって、ここです。ここに出ると思います」
 フィオが指差す一点を凝視し、クラークが尋ねる。
「……ここには何があるんだ?」
「何があるのかは判りませんが……しいていえば“空間”です」
「空間?」
「B2爆撃機がすっぽり納まるくらいの広大な空間があるのは判っています。……たぶん、大型兵器の格納庫か一種の工場があるのではないかと思いますが」
「工場、か……」
「中尉、さらわれた科学者たちは、そこに……?」
「ありえんハナシじゃないが——」
 クラークはリストバンドをめくって腕時計の文字盤を確認した。
「上じゃ例のギャングが決勝の舞台に臨んでる頃だな。……本隊の包囲作戦が完了するまで時間がない。急ぐぞ」
「は、はい!」
 クラークにうながされ、フィオは資料をポーチに押し込む代わりに腰の後ろに下げていた武器を手に取った。

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