奈落の虫
PAGE-1 PAGE-2 PAGE-3 PAGE-4 PAGE-5

〈5〉

 数時間ぶりに吸った外の世界の空気は、あざやかな夕陽に染まってかすかに草いきれの匂いがした。
「はぁ……ひぃ——」
「へばるにはまだ早いんだがね」
 枯れ井戸に偽装してあった換気用のダクトから這い出てきたフィオを、クラークの腕が力任せに引きずり上げた。
 次の瞬間、地面が激しく揺れ、それと同時に、3人が立った今登ってきた縦穴から天に向かって熱い風がいきおいよく吹き上がった。
「ひゃ……!」
 フィオは下生えの上に尻餅をつき、枯れ井戸から立ち昇る陽炎を凝視した。脱出があと30秒ほど遅れていたら、おそらく3人とも、あの縦穴の中で蒸し焼きになっていただろう。これほどの爆風がこんなところまで届いたところを見ると、地下のジェネレーターはかなりの規模の爆発を起こしたらしい。
「やれやれ……」
 いまだに微震動の続く大地を踏み締め、クラークは中央モスクの方角を見やった。
 茜空に、灰色の煙がゆるゆるとたなびいている。数時間前まで調和の取れた様式美を誇っていたモスク群のほとんどが、今はただの瓦礫の山と化していた。
「あっちもひどいもんだが……このぶんじゃ、地下施設は完全に壊滅だな。地盤が崩落してる場所もあるようだし」
「はぁ……」
 煤とほこりで汚れたメガネのレンズを拭い、フィオは全身を弛緩させて溜息をついた。

 とりあえず、死なずにすんだ。
 ハイデルン部隊にオブザーバーとして同行するという話をした時、父がなぜあれほど狼狽したのか、その意味がようやく実感できたが、大過なく生還できたのは何よりだった。
 自分は運がいいと、フィオはそう思う。
 正直、一兵士としてのフィオの技量はさほど高いわけではない。彼女自身、そういう自覚を持っているし、周囲もそう評価しているはずだ。だから、本当なら、どこかの戦場で命を落としたとしてもおかしくない。
 にもかかわらず、今回もこうして何とか生還できた。
 もちろんそれは、ともに行動していたクラークやレオナの力によるものが大きいということも、フィオはちゃんと理解している。
「——大丈夫か、シニョリーナ?」
 ハイデルンとの通信を終えたクラークが、へたり込んだまま空を見上げているフィオのところにやってきた。
「あ、はい……平気です。大丈夫です」
「ああ、そのままでいい。慣れないチームでいきなりの大仕事だったからな。少し休んでいろ」
 慌てて立ち上がろうとするフィオを制し、クラークは青いキャップをかぶり直した。
「——さいわい、包囲部隊は安全圏まで退避できた。犠牲者はゼロ、連中の思惑をはずしてやったと考えれば、ま、さほど落胆するような結果じゃあない。全体から見ればほんのわずかとはいえ、データも回収できたしな」
「はい」
 腰のポーチにしまった情報端末をそっと押さえ、フィオはくすりと笑った。それに気づいたクラークが、いぶかしげに首をかしげる。
「……どうした?」
「いえ。——話に聞いていたほど無口じゃないんですね、中尉どの」
「誰に聞いたんだ?」
「ジョーンズ大佐です」
「やれやれ……年中騒がしいあの大佐どのとくらべれば、誰だって無口ってことになるだろうさ」
 サングラスを押さえて苦笑したクラークは、ハンドガンを片手にあたりを警戒しているレオナを肩越しに指差した。
「確かに俺も口数の多いほうじゃないが、いっしょにチームを組むのがレオナだからな。どうやったって俺がしゃべらざるをえんだろう? それとも、俺も押し黙ってたほうがよかったかい?」
「それは……わたしもどっちかというと沈黙に耐えられないほうですから」
 フィオはお尻をはたいて立ち上がった。
 ホルスターに納めたハンドガンの残弾数を確認し、クラークはふたりにいった。
「——よし、そろそろ中央モスクに行くぞ。生存者がいないか確認作業に入る」
「イエッサー!」
 まだどこか焦げ臭さの残る空気を胸いっぱいに吸い込み、フィオはクラークとレオナにしたがって走り出した。

Prev Next
PAGE-1 PAGE-2 PAGE-3 PAGE-4 PAGE-5
Close