〈2〉
「それじゃいってきまーす!」
明るい声に続いて、元気な足音がスチールの階段を駆け降りていく。
踊り場の手摺に寄りかかって軽く手を振っていたアルバは、アンに続いて階段を降りてきたノエルに声をかけた。
「近頃はよそのチームもようやくおとなしくなってきたが、油断はするなよ、ノエル」
「まかせとけって。ソワレに送り迎えさせるよりはよっぽど安心だと思うぜ」
キャデラックのエンジンをかけ、ノエルがウインクする。それを聞きつけたソワレが、もらしかけていた大あくびを慌てて噛み潰し、大きく身を乗り出してわめいた。
「ちょっ……おまえ、そりゃどういう意味だよ!?」
「べっつに〜」
「ああっ……! の、ノエル、この野郎……!」
ソワレは歯をきしらせてノエルを睨みつけた。ともにチームのムードメーカー的存在であるソワレとノエルは、仲がいい一方、些細なことで喧嘩することも多かったが、こと口喧嘩にかぎっていえば、ソワレはノエルにかなわない。そもそも短気で直情的なソワレに、口達者なノエルを言葉だけでやり込めることなど無理な話である。
キャデラックの助手席に腰を落ち着けたアンは、顔を真っ赤にして怒っているソワレを見上げて苦笑した。
「まったく……ソワレはすぐにノエルの挑発に乗っちゃうんだから」
「ソワレにつき合っていると遅刻するぞ、アン」
「うん」
「じゃあ行ってくるぜ、アルバ」
「ああ、気をつけてな」
アンを乗せたキャデラックがノエルの運転で走り去っていくのを見送り、アルバは肩をすくめた。
「——何が不満なんだ、ソワレ?」
「だってよぉ」
階段の途中に腰を降ろしたソワレは、まだ不服そうに眉間に深いシワを寄せ、ノエルに対する恨み言をぶつぶつと口にしている。
「ノエルの野郎、ちょっとくらいクルマに乗れるからっていい気になりやがって——」
「ノエルはあれでなかなか堅実なドライバーだ。私よりよほど安全にアンを送り迎えしてくれるだろう」
「そ、それはオレだって認めるけどよ、だからって、わざわざオレを引き合いに出すこたァねえだろ?」
「では聞くが、この前アンを迎えにいって、私のクルマに大きな傷をこしらえて帰ってきたのは誰だ?」
サングラスを押し上げ、抑揚を抑えた口調でアルバが尋ねる。瞬間、ソワレが息を呑んだのが判った。
「そっ、それは……あ、あれはちゃんと謝ったじゃねえか!」
「謝ったからといって、おまえの運転技術が劇的に向上するわけではない」
「そりゃそうだけどよ——」
「別に私は、おまえが私のクルマに傷をつけたことをいまだに怒っているわけではないさ。ただ、アンを乗せてクルマを走らせるという点においては、おまえよりノエルのほうがすぐれていることはまぎれもない事実だ。それをノエルがあえて口にしたのは……まあ、自分の胸に手を当てて考えてみることだな」
「あァ? オレあいつに何かしたか?」
ソワレは怪訝そうに首をかしげて聞き返したが、アルバはあえて遠回しに答えた。
「何といったかな? エマニエル・ストリートの端にあるハンバーガースタンドの、あのおしゃべりなウェイトレスは——」
「は? キャサリンがどうかしたのか?」
「いや、別に」
そばかすの痕がうっすらと残る陽気なウェイトレスに、最近ノエルが妙に入れ込んでいるということは、〈サンズ・オブ・フェイト〉のメンバーたちならおおよそみんな気づいている。気づいていないのは、おそらくソワレくらいのものだろう。
そしてその子が、足しげく店に通ってくる当のノエルより、大口を開けてハンバーガーにかぶりついている自分に熱い視線を向けているということにも、たぶんソワレは気づいていないはずだ。
「ノエルの気持ちは判らないでもないが……完全にひとり相撲だな」
アルバの独白を聞きつけ、ソワレがまた眉を吊り上げた。
「おい、何笑ってんだよ、兄貴? やっぱ何か知ってんだな?」
「たとえ何か知っていたとしても、私の口からはいえないな。ノエルにもメンツというものがある。……さしあたって私にできるアドバイスは」
「アドバイスは?」
「しばらくハンバーガーを食べるのを控えろ。特にあの店のダブルダブルチーズバーガーはカロリーが高そうだ。コークとの組み合わせも健康によくない」
「え!? も、もしかして太った!? そんなに太ってる、オレ!?」
勝手に勘違いして慌て始めたソワレを尻目に、アルバは涼しい顔でサングラスのレンズを磨いた。
遠くに見えるビジネス街のビル群のシルエットが、まばゆい朝日を受けて黒々と染まっている。最近めっきりと秋めいてきたが、きょうはよく晴れた1日になりそうだ。