アルバとソワレ
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〈3〉

「私はこれまで——この街に来る前から——ソワレを守るために闘ってきた。それこそ物心ついた頃から、ソワレを守るためならどんなことでもやってきた」
 背の高いグラスの中で、ライムの小片が揺れている。溶けた氷がグラスに触れてからりと鳴った音が、やけに大きく聞こえた。
「決してソワレをあなどっていたつもりはない。……だが、すべての決断を私にゆだねるというあいつを見ていて、いつの間にか私は、ソワレにはいつも私がついていてやらなければならないと思うようになっていた」
 籐の椅子に浅く腰かけ、ゆったりと脚を組み、アルバはサングラス越しにそれを見つめた。
「だが、現実は滑稽なくらいに真逆だった。——ソワレに私が必要なのではなく、本当は、私にソワレが必要だったんだ。私の隣からソワレがいなくなって、初めて私はそのことに気づかされた」
 実際のところ、アルバがいつまでもソワレを子どもあつかいしていただけで、ソワレはアルバがいなくてもひと通りのことは自分でできる男だった。
「オレは細かいこと考えんの苦手だしさ、兄貴が決めてくれよ」
 ——決まり文句のようにそういいながら、現にソワレは、前回のキング・オブ・ファイターズにも、今回のキング・オブ・ファイターズにも、自分自身の判断で出場している。自分自身の意志で行動し、自分の問題には自分でけりをつけてきた。
 ソワレがそうした決断力と行動力のある人間に成長していたことに、アルバは今まで気づかなかった。あるいは、庇護されるソワレとそれを見守る自分というこれまでの関係を壊したくないばかりに、あえてその現実から目をそむけていたのかもしれない。
 しかしいずれにせよ、アルバは現実を直視させられてしまった。
「……ソワレがいなければ何もできないのは私のほうだ」
 膝の上に置かれたアルバの拳が、細かく震えていた。
「仲間たちは、私のことを冷静で決断力のある男だといってくれるが、本当はそうじゃない。チームのため、仲間たちのため——もちろんそれもあるだろう。だが、何よりもまずソワレのためという大義名分があればこそ、私はどんな危険な闘いにも躊躇せずに立ち向かうことができた。今こうして私が“キング”の座にあるのも、それを誰よりもソワレが望んでいたからだ。……ただそれだけのことだ」
「ずいぶんと自虐的じゃないか」
 アルバの独白を黙って聞いていたリチャードは、空になったグラスを脇に押しやり、大きく息をついた。
「——だが、それが何かいけないことなのかね?」
「……何?」
 アルバは視線を上げ、リチャードの顔を見返した。
「私はブラジル人で、カポエラを世に広めようと思ってこの街にやってきた。しかしね、何もカポエラのためだけに闘ってきたわけじゃない。私自身と、それに何より愛する妻のために闘ってきたつもりだよ。闘う動機が誰かのためというのは、私は決して卑下するようなことじゃないと思うがね。……というより、私はむしろそうあるべきだと思っているんだが」
「だが——現実に私は、ソワレを守ってやれなかった——!」
 無念にわななくアルバの拳がテーブルを叩いたが、そこに“キング”と呼ばれる男の力強さはなく、かすかにグラスを揺らしただけだった。
 リチャードは椅子をきしませ、芝居がかった仕種で首をかしげた。
「あの大会の裏で何があったのか、途中で負けちまった私には判らんがね。……それで結局、弟さんは死んじまったのかい?」
「————」
 アルバが唇を引き結んだのを見て、リチャードはかぶりを振った。
「不躾な質問だったら許してくれ。興味本位で聞いてるわけじゃないんだ。——要するに、おまえさんは弟さんを死なせちまったことを悔やんでいるのかね? その酒は弟さんへの手向けの酒なのかい?」
「……いや」
 静かに長息し、アルバはゆっくりと首を振った。
「ソワレはまだ死んではいない」

 根拠は何もない。
 だが、アルバは思う。
 もしこの星のどこかでソワレが命を落としたら、どこにいたとしても、自分はそれに気づくだろう。ほかに親も兄弟もない、たったふたりの兄と弟という自分たちの絆は、まだ切れてはいない。
 ソワレはまだ死んではいない。
 ソワレはまだどこかで生きている。
 なら——自分が今すべきことは何だ?

 深呼吸を繰り返し、アルバはテーブルの上で両の拳を握り合わせた。
 つねに自分のかたわらにいたはずのソワレが消えたという現実は、人知れずアルバの肩に重くのしかかり、つねに前を見つめ続けていた彼のまなざしを、いっとき足元へと落とさせた。
 しかし、それは本当にいっときのことだった。
 いまやアルバのまなざしは、見据えるべき彼方を見据えてその輝きを取り戻していた。
「……少し混乱していたようだ」
 アルバはいつもと変わらない淡々とした口調で呟いた。
「そう……ソワレはまだ死んではいない。死んだわけじゃない。ただいなくなっただけだ」
「だったらおまえさんも、こんなところでヤケ酒を飲んでる場合じゃないんじゃないかな?」
 リチャードが軽くウインクしてそう切り返すと、少しく不満げな男の声が飛んできた。
「ちょっと待ってください、聞き捨てなりませんね、リチャード」
 苦笑混じりにふたりのところへやってきたボブが、アルバの前にあったグラスを下げ、代わりに冷たい水の入ったタンブラーを置いた。
「こんなところっていい方はないでしょう? どういう意味ですか、それは?」
「そう怒るなよ、ボブ。私はただ、ここは鬱々と暗い酒を飲む場所じゃないっていいたかっただけさ」
「ああ……確かにそうかもしれない。ここはいい店だ」
 いつの間にかカポエラのショーは終わり、この店のもうひとつの目玉——腕自慢たちの夜ごとの熱い闘いが始まろうとしている。それを目当てに集まってきたのか、下のフロアは立錐の余地もないほどの混み具合だった。
「——次に来る時はソワレを連れてこよう。きっと喜ぶはずだ」
 あらたな熱気が渦を巻き始めたフロアを一瞥し、アルバは冷たい水を一気に飲み干して立ち上がった。
「きょうは私の奢りにしておくよ、セニョール」
「すまない。……妙な話を聞かせてしまった」
「なぁに、かまわんさ。若者の愚痴を聞くのは慣れてるからね」
 リチャードは軽く肩をすくめてウインクした。
「おまえさんは、その若さでそういう弱音を吐けない立場に押し上げられちまったんだ、陰で少しばかり愚痴ったところで罰は当たらんよ。……何でもかんでもひとりでかかえ込もうとするもんじゃない。老成するには早すぎるよ、おまえさん」
「ありがとう。覚えておこう」
「セニョール・メイラ」
 下のフロアに降りていこうとするアルバを呼び止め、ボブがそっと耳打ちする。
「……面相のよろしくない連中が、店から出てくる人間を見張っています。確証はありませんが、ひょっとすると——」
 ソワレを失い、片腕をもがれたも同然のアルバを闇討ちして、“キング”の座を手に入れようとするどこかの組織の連中だろう。しばらく腑抜けていたツケが回ってきたといえなくもないが、ずいぶんとなめられたものだとアルバは小さく苦笑した。
「……酔いは醒めたかね? 助っ人が必要なら手を貸そうか?」
「いや、特定のギャングとよしみを通じていると思われては、あなたがたにも迷惑がかかるだろう」
 どこか楽しそうにいうリチャードを横目に、アルバはレザー製のグローブをはめ直した。
「私ひとりで充分だ。——精神的なリハビリにはちょうどいい」
「なら、せめて裏口からどうぞ。……どのみち裏口のほうにも連中の目が光っているでしょうが、表の通りで修羅場を演じられるよりはマシです」
「ああ。せいぜいこの店に迷惑がかからない場所を選ぶよ」
 リチャードとボブに礼を述べ、アルバはカフェの裏口から外へ出た。

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