アルバとソワレ
PAGE-1 PAGE-2 PAGE-3 PAGE-4 PAGE-5

〈5〉

「——いいのかよ、あいつらこのままにしちまってよ?」
 傷ついた仲間たちを引きずるようにして逃げていく連中を見送り、ノエルがあくび混じりにいった。
「戦意を失って逃げていく者をわざわざ追い詰める必要はない」
 レンズを磨いたサングラスをかけ直し、アルバは肩をすくめた。
「あいつらを徹底的に叩きのめしたら、今度はあいつらの仲間が私たちへの復讐を考えるだろう。私はただ、不毛な報復合戦を避けたいだけだ」
「それは判るけど、ケジメってモンがあるだろ? あいつらがどこのグループの人間かはっきりさせて、何らかの形で落とし前つけさせとかないと、このまんまじゃナメられっぱなしじゃんかよ。また同じようなことしやがるグループが現れるかもしんないんだぜ?」
「あれだけ一方的にやられたんだ。すでに充分落とし前にはなっているさ」
 襲ったほうと襲われたほうと、どちらが痛い思いをしたかと振り返ってみれば、襲った男たちのほうがよほどひどい目に遭っている。アルバたちはせいぜいノエルが目の周りに青タンをこしらえた程度の被害しかなかったが、向こうはほぼ全員がひどい打撲傷で、骨を折った者も少なくない。
「私を襲った奴らがあっけなく返り討ちに遭った——それを知れば、私たちに取って代わろうとしていたほかのグループも、当分の間はおとなしくしているだろう。今はそれでいい」
「ちぇっ。オレだけ殴られ損かよ」
「そういうなよ、ノエル。……さあ、帰ろう」
 アルバは目の周りを青くして不満げにぼやいているノエルの肩を叩いて歩き出した。
 いつしか東の空は白み、街角のそちこちにわだかまっていた夜の残滓が暁光に押し流され始めていた。夜を徹して浮かれ騒いでいた人々もようやく眠りに就き、夜と昼とが入れ替わるこのひと時は、サウスタウンが1日のうちでもっとも静かになる時間でもあった。
 アスファルトの上に長い影を伸ばし、アルバの少し後ろをデュードと並んで歩きながら、ノエルがいった。
「勝手なことすんなっていわれるかもしれねえけどさ」
「何の話だ?」
「ソワレの行方、下の連中にいって捜させてるぜ」
「……そうか」
 アルバは小さくうなずいた。
「すまない。世話をかける」
「気軽にあやまるなよ」
 照れ隠しのつもりか、ノエルはアルバの背中を軽く小突いた。
「ソワレあってこそのおまえ、ふたり揃ってこその〈サンズ・オブ・フェイト〉だって、オレたちみんなそう思ってんだ。——だからさ、おまえもひとりでかかえ込むなよ。オレがこんなこというのもアレだけど、おまえ、けっこう不器用なんだからさ」
「そうだな……私には信頼できる仲間がいることを忘れていたよ」
 サングラスを押さえ、アルバは嘆息した。
 たぶん、この街のどこを捜しても——セカンドサウスやグラスヒルヴァレーまで捜してみても、ソワレは見つからないだろう。どんなにノエルたちが八方手を尽くしてくれたとしても、ソワレは決して見つからない。
 アルバにはそう思えた。
 だが、だからといってソワレを諦めたわけではない。

 自分の肩にある悪魔の翼は、ソワレの肩を飾る天使の翼と対になっている。
 どちらかひとつが欠けても、ふたりは空を飛べない。

「——欠けた翼を、私は取り戻す」
「は? 何かいったか、アルバ?」
「いや。……それはそうと、フリードリヒとヴォルフガングはどうしている?」
 アルバがそう聞き返すと、ノエルとデュードは怪訝そうに顔を見合わせた。
「何だそれ?」
「フリードリヒとヴォルフガング。……私が拾ってきたネコたちのことだ」
「ああ、あいつらなら今はたぶんアンといっしょに寝てると思うけど……あれ? あいつらウノにドスって名前じゃねえの? ギャラガーがそう呼んでたぜ?」
「飼い主に無断で勝手な名前をつけるな」
 住み慣れたアパートの階段の手すりに手をかけ、アルバはかさねて訂正した。
「——スペードのほうがフリードリヒ、ダイヤのほうがヴォルフガングだ。本人たちの尊厳のためにも間違えないでもらいたい」
「ネコに尊厳もナニもねーじゃんかよー。だいたいなんでそんな面倒な名前なんだ? 覚えにくいったらねーって」
「ニーチェにゲーテかしら? だとしたらわたしは好きだわ、その名前」
「————」
 自分たちの会話に不意に割り込んできた涼やかな声に、アルバたちの視線がほとんど同時に後ろを向いた。
「お久しぶりね、アルバ・メイラ」
 ビルの向こうから細く射してきた曙光を背負って、蝶の髪飾りの女があまりに場違いなスラムの一角に立ち尽くしていた。地に落ちた影はその人よりもなお細く、だが、不思議と存在感のある美女だった。
「お、おい、アルバ! あの女って、ひょっとして——?」
「ああ、判っている」
 警戒心を強めるノエルたちを制して、アルバは登りかけていた階段をゆっくりと降りていった。
「——捜したよ、フロイライン・マイリンク」
「ルイーゼでけっこうよ」
 アルバを見つめる美女の冷ややかなまなざしはこの前と変わらない。あの時は、すべてを俯瞰するかのような淡々とした視線でソワレがいなくなったという事実を語るルイーゼに、らしくもなく逆上してしまった。
 そんな状態のアルバに何をいっても無駄だと思ったのだろう。ルイーゼは彼を突き放していずこかへと去り、そして今またアルバの前に姿を現した。
 しばらくアルバを見つめていたルイーゼは、銀色の髪をさらりと揺らして微笑んだ。
「……どうやら頭は冷えたみたいね」
「ああ」
 大きく深呼吸し、アルバはうなずいた。
「今ならきみの話を冷静に聞けると思う。——少しつき合ってもらえるかな?」
「もちろん。そのために来たんだもの」
 ルイーゼの承諾を得たアルバは、ノエルとデュードを振り返り、まだ住人たちが寝静まったままのアパートを見上げた。
「……先に部屋に戻っていてくれ。私は彼女と話がある」
「アルバ——」
「不健康なギャングが目を醒ますには早すぎる時間帯だ。みんなには何もいわなくていい」
「……判った」
「昼までには戻る。ランチは私が何か奢るよ」
 軽口とともにふたりの肩をぽんと叩き、アルバは歩き出した。
 まばゆい朝日が、サングラス越しにアルバの瞳を鮮烈に射した。

 いってらっしゃいと、どこかでネコが鳴く声がしたような気がした。

Prev Next
PAGE-1 PAGE-2 PAGE-3 PAGE-4 PAGE-5
Close