オリジナルサイドストーリー CLOSE
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〈3〉

 さっきから安っぽい呼び鈴の音が鳴り続けている。
 いったんやんでもすぐにまた鳴り始める。鳴らしているのは相当しつこい相手のようだ。
「うるせえ——」
 いつまでたっても鳴りやまないその音に、ソワレはもぞもぞと毛布の下から這い出てきた。
 ゆうべはアパートの壁面をイルミネーションで飾り立てて、そのままノエルたちとカサブランカに繰り出し、クリスマスのパーティのことをあれこれ話し合って——というのを建前にしてさんざん浮かれ騒いで——部屋に戻ってベッドにもぐり込んだのは、完全に日が昇ってからだった。
 二日酔いでガンガンする頭を押さえ、ベッドサイドの時計を見やる。
「……まだ昼前じゃねーか……」
 思わずもれた恨み言も、頭痛のせいで元気がない。
「冗談じゃねえっての……」
 ゆうべの飲み残しのミネラルウォーターで喉の渇きを癒すと、ソワレは頭から毛布を引っかぶったまま、重い身体を引きずるようにしてドアに向かった。
「こんな時間にいったい誰だよ、ったく——」
 寝癖のついた髪をかき混ぜながら、ソワレはドアを開けた。
 と同時に、目にしみるようなあざやかな色彩と薔薇の香りがソワレの五感を直撃した。
「ちょっ……な、何だよ、この花は——」
「はっ、はじめまして!」
 真っ赤な薔薇の花束をソワレの眼前に突き出し、ぺこりと大袈裟に頭を下げたのは、まだ15、6ほどと見える少年だった。ひょろっとして線が細く、眼鏡をかけた顔つきはなかなか賢そうだ。学校というものにろくに行ったことのないソワレにも、この少年がいわゆる優等生だということはひと目で判った。
「ここ、こっ、こんにちは! ぼ、ぼく、トニー・マーカスといいます!」
「はァ?」
「こっ、これっ! ウチの母が育てた、ば、ばら、薔薇です! ら、ラスベガスっていうんですけど、よ、よろしければ、どどっ、ど、どうぞっ!」
 顔を紅潮させ、何度もつっかえながらたどたどしく挨拶した少年は、突然のことに困惑しているソワレの鼻先へとさらに花束を押し出した。
 だが、当のソワレには、人から薔薇を贈られる覚えもなければこの少年に見覚えもない。
「お、おい、いきなり何なんだよ、おまえは?」
「おお、おにっ、お、お兄さんですね!? ど、どう、ぼ、ぼっ、ぼくと、つ、つき合ってくださいっ——!」
「ああ!? おま、ふざけてんのか、おい!」
「あああ、ちっ、違います! つ、つき合ってほしいのはおにいさんではなくて、その——」
「ワケの判んねえ野郎だな……」
 ずきんずきんと痛むこめかみを押さえ、ソワレは眉間にシワを寄せた。
「——だいたい、トニーだか何だか知らねえが、おまえ、おにいさんてのは誰のことをいってんだ?」
「え? だ、だって……お、おにいさんでしょ? ですよね?」
 トニーはきょとんとした表情で不機嫌そうなソワレの顔を見返している。一向に要領を得ない少年の言葉に苛立ちをつのらせたソワレは、小さく舌打ちして声を荒げた。
「オレは弟だよ! 兄貴なら出かけてるぜ。……っつーか、おまえまさか、赤い薔薇なんざ持って、兄貴に告白しにきたとかいうんじゃねえだろうな!?」
「だ、だから違いますって〜! この薔薇は……あ、で、でも、弟さんでもいいです。これ、ど、どうぞ!」
「何が何だかよく判らねぇけどな、あいにくとオレにゃ、男から花を贈られて喜ぶようなシュミはねえんだよ!」
「そ、そんなこといわずに受け取ってください! 受け取ってもらえないと、ぼく、困るんです……!」
 そういって、トニーは眼鏡の奥の目を潤ませた。
「お、おまえ、何もそんな泣くこたァねえだろ? それじゃまるでオレがいじめてるみてえじゃんかよ」
「だ、だって——」
「え? もしかして、トニー……?」
 横合いから聞こえてきた少女の声に、ソワレとトニーが同時にそちらを見やった。
「あ、アン!」
 ずずっと鼻をすすったトニーが、階段のほうからやってきたブルネットの少女を見て嬉しそうに笑った。しかし、当の少女——アン・コールマンのほうは、なぜか不安そうな顔をしてソワレとトニーを見くらべている。
 ソワレはぼりぼりと頭をかいて呟いた。
「なんだよ、アンの知り合いなのか、こいつ?」
「う、うん。学校の……お友達、だけど——でも、どうしてトニーがここに?」
「いや、その……きみのおうちの人に、ひと言ご挨拶をと思って、今、弟さんとお話していたところなんだ、うん!」
「おとうと……って?」
 しばらくトニーの言葉を反芻していたアンは、はっと目を見開いてソワレを見つめた。
「え? もしかしてトニー、それってまさか、ソワレのこと……?」
「ああ、ソワレくんていうんだ。それにしても大きいんだね。とてもアンの弟さんには見えないよ。ぼくより年上なのかと思っちゃった」
「そ、ソワレくんだぁ……?」
 どうやらトニーがたいへんな誤解をしているようだということに気づき、ソワレはまたさらに眉をひそめた。
「おい、おまえな、誰がアンの弟だって……?」
「え? だってさっき、オレは弟だって思いっきりいってたし——」
「ちょ、ちょっと、トニー! ソワレはわたしの弟じゃないのよ! そりゃまあ、子供っぽくて世話が焼けるのは確かだけど……」
「ちょっと待てよ、アン! 今なんか聞き捨てならねえこといわなかったか!?」
「あ? 聞こえちゃった? えへへ——」
 ソワレがじろりとひと睨みしたとたん、アンはピンク色の舌を覗かせて苦笑した。
「えへへじゃねえだろ! だいたい、いっつもおまえは——」
「まあまあ、そう熱くならずに……」
 ついさっきまで泣きそうになっていていたくせに、トニーは他人ごとのような顔をしてソワレとアンの間に立った。
「うるせえ!」
「ひいっ!?」
 ソワレの一喝に、トニーが首をすくめてあとずさる。
「そもそも誰のせいでこんなややこしいことになってると思ってやがんだ!?」
「だっ、だ、誰のせいって……だ、誰のせいでしょう……?」
「いわなきゃ判んねェか?」
 トニーの胸を指でつつき、ソワレは声高にいい放った。とげとげしい言葉を吐き出すたびに、それがどこかに引っかかって、ソワレの頭をしくりしくりと刺激する。
「きみだよ、おまえだよ、トニーくんのせいなんだよ! 少しは空気読め!」
「ちょっ……ねぇ、そういうのやめて、ソワレ!」
「いいからアンは黙ってろ!」
 必死になだめようとするアンをやんわりと振りほどき、ソワレは居丈高に続けた。
「——いいか、優等生。オレはアンの弟じゃねえ。むしろアンのほうがオレの妹みたいなモンなんだ。ガキの頃からずーっと面倒を見てきた」
「そ、それじゃ、ソワレくん……じゃ、じゃない! ソワレさんは、いったい——?」
「オレか? オレは〈サンズ・オブ・フェイト〉のソワレ・メイラだ! テストに出るからよーく覚えとけ!」
「えっ……? さ、〈サンズ・オブ・フェイト〉って……それ、も、もしかして、ぎゃ、ぎゃっ、ぎ、ギャングの——?」
「ほー、世間知らずな優等生くんでもそのくらいは知ってたみたいだな」
 目を丸くして驚いているトニーを見ているうちに、ソワレの溜飲も下がってきた。それに合わせて舌のすべりもよくなってくる。
「このオレこそがサウスタウンのギャングたちを束ねる〈サンズ・オブ・フェイト〉にその人ありといわれたソワレさまだ。ンでもって、オレの自慢の兄貴が〈サンズ・オブ・フェイト〉のリーダーにしてこの街の“キング”、アルバ・メイラなんだよ! 判ったか!」
「あ、アンのお兄さん代わりの人たちって、そ、えっ? ぎゃ、ぎゃっ、ギャング……だ、だったの……?」
「そ、それは……」
 トニーに見つめられ、アンはいたたまれない表情で瞳を伏せた。
「なあ、トニーくんよ」
 ソワレはわざとらしいほどににこやかな笑みを浮かべ、トニーの肩を軽く叩いた。
「もしきみがウチのアイドルのアンとつき合いたいとか思ってるんだったら、それなりに根性のあるところを見せてもらいたいもんだな。こんな薔薇の花じゃなくて、何があってもアンを守っていけるっていう心意気みたいなモンをな、オレたちは見たいわけだよ。兄貴代わりとしてな」
「もうやめて、ソワレ!」
 ふたりの間に身体ごと割って入ったアンは、本当に申し訳なさそうな顔でトニーにあやまった。
「ご、ごめんなさい、トニー」
「い、いや、いいんだ、アン」
 壊れたロボットのようにぎこちなく首を振るトニーの口もとには、何ともいえない引きつった笑いが張りついていた。
「……ぼ、ぼく、きょうのところは、お、おい、おいとま、するよ……」
「えっ!?」
「ぼっ、ぼく、その——こ、心の準備っていうか、その、え〜と……う、うん、とにかく、それじゃまた! さよなら!」
「トニー!」
 真っ赤な花束をアンに押しつけると、トニーはせまい廊下を走り去り、そのまま階段を駆け降りていった。
「……なんだ、あいつ?」
 ソワレは小さく鼻を鳴らして肩をすくめた。
「ちょっとすごんだだけでビビっちまいやがんの。だらしねえ——」
 そのセリフは、乾いた音によって途中でさえぎられた。
「…………」
 頬に鋭い痛みを感じながら、何が起こったのかすぐには理解できず、ソワレはしばし言葉を失っていた。まさかあのおとなしいアンが、自分の横っ面に平手をお見舞いするとは信じられなかったのかもしれない。
 ようやくその現実を把握したソワレは、軽く頭を振ってアンを睨みつけた。
「い、いきなり何しやがんだよ、アン!?」
「ソワレのバカ!」
「ば、バカって……」
 どういう意味だ! と続けようとして、しかしソワレは何もいえなくなった。アンが大粒の涙をはらはらとこぼしているのを間近に見てしまえば、たぶんここにいるのがソワレでなくアルバだったとしても、咄嗟に何といっていいか判らなかったに違いない。
 まして、それが自分のせいだとすればなおさらだった。
「ソワレのバカ! ソワレなんか大っ嫌い! もう二度と顔も見たくない!」
「ぶっ!」
 ソワレの顔面に薔薇の花束を投げつけ、アンは泣きながら走り出した。
「あ! お、おい、待てよ、アン! アン!!」

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