オリジナルサイドストーリー CLOSE
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〈4〉

 シュナップスの空き瓶に水を入れ、薔薇を数本生けて窓辺に置き、アルバは大きく溜息をついた。
「なるほど……おまえの部屋にこんな場違いなものがある理由がよく判ったよ。確かにそれはデリカシーに欠ける発言だったな」
「で、デリカシーって……けどまあ……返す言葉もねえよ、今回ばかりは」
 ベッドの端に腰を降ろしていたソワレは、ちらりと兄の顔を一瞥し、深くこうべを垂れた。
 アルバは壁に寄りかかり、サングラスをはずした。
「——だが、遅かれ早かれ起こりうることだったといえなくもない」
「えっ?」
「まだ幼かった頃には気にも留めなかった事実を、おそらくアンは、今になって自覚し始めているはずだ」
「な、何のことだよ?」
「世間一般の人間から見れば、アンもまた〈サンズ・オブ・フェイト〉の一員だということさ」
「は? そんなの当たり前だろ? アンはオレたちの仲間じゃねえか」
 ソワレはいぶかしげにアルバの顔を凝視している。
「……やはりおまえも気づいていなかったんだな」
 アルバは思わず笑ってしまった。天性の明るさを持ち、〈サンズ・オブ・フェイト〉の中に溶け込むのにもアルバほど苦労することのなかったソワレには、たぶん、世の中をそういう視点で見ること自体、思いもよらないことだったに違いない。
 サングラスを磨いてかけ直し、アルバは呟いた。
「間違うな、ソワレ」
「な、何をだよ?」
「……アンは私たちの妹も同然の存在だが、決してギャングではない。〈サンズ・オブ・フェイト〉の一員なんかであってはいけない」
「あ……」
 ソワレは何かに気づいたように目を見開いた。
「そ、そうか……そういう、ことか——」
「そういうことだ。アンは暴力とは縁遠いふつうの少女でなければならない。我々の仲間だと見られてはいけないんだ。——だが、世間はそうは見てくれないだろう。アンもまた私たちの仲間、ギャングの一員としてしか見ない。アンが〈サンズ・オブ・フェイト〉とかかわりのある人間だと知ったとたん、そのトニーという少年の態度が急変したのは、哀しいことだが、ある意味では当然の反応だ」
 フェイトの持っていた理想をそのまま追いかけているアルバたちは、このスラムに住む人々から恐れられているということはなく、むしろ頼られているといえるだろう。しかし、そういう態度で接してくれる人間は非常に少数派だ。アルバたちの実情がどうあれ、ギャングとかかわり合いになることを人は好みはしない。
 ソワレは頭をかかえてうつむいた。
「やっぱオレがバカだった……オレが〈サンズ・オブ・フェイト〉の名前なんか出したりしたから、アンの友達をひとりなくしちまった……」
「そう自分を責めるな、ソワレ」
「けどよぉ……!」
「さっきもいったが、遅かれ早かれその少年は私たちの素性を知ることになる。どんなに隠し通そうとしても隠しきれるものじゃない。アンにとってはつらいことかもしれないが、深入りする前にこうなったのは、その子のためにはかえってよかったのかもしれない。ひょっとしたら、我々のトラブルにその子を巻き込んでしまう可能性だってあったわけだからな」
「そいつは判るよ。判るけど……だったら、オレたちはいったい、これからアンに何をしてやれるんだ!?」
 空になったミネラルウォーターのペットボトルを握り締め、ソワレは呻いた。
「あいつのしあわせのために、オレたちはどうすりゃいいんだ?」
「私にもまだよく判らない」
 アルバはかぶりを振った。
「……ただ、もしかすると、アンはこれ以上私たちといっしょにいないほうがいいのかもしれない」
「いっしょにいないほうがいいって……じゃ、じゃあどうすんだよ?」
「誰も私たちのことを知らないようなおだやかな土地の、それなりの教育を受けられる全寮制の学校にでも入学させる。私たちのようなギャングといっしょに暮らしていた過去を捨てて、ふつうの女性として生きていけるように——」
「おい待てよ、兄貴!」
 アルバの言葉をさえぎり、ソワレは立ち上がった。今にも掴みかからんばかりの剣幕でアルバに詰め寄り、真正面から双子の兄を睨みつける。
「それが本当にアンのためになるってのかよ!? オレたちといっしょにすごしてきた時間があいつのためにならねえって、そんなこと本気でいってんのか、兄貴よぉ!?」
「そうはいっていない。私だって〈サンズ・オブ・フェイト〉の一員としての生き方に誇りに思っている。だが——」
 アルバはその先を続けることができなかった。
 人からギャングといわれる生き方を後悔したことはない。それはいつわらざるアルバの真情だった。だが、だからといって、アンにも自分たちと同じ道を歩ませるのが正しいとは思えなかったし、そうしたいとも思わない。
 どこまで行ってもアルバたちはギャングで、そのレッテルを背負っている以上、日の当たる世界に出ていくことはできないのである。
「オレには……オレには判らねえよ!」
 胸のうちに溜まったさまざまな思いを荒々しい溜息とともに吐き出し、ソワレはベッドに腰を降ろした。
「私にもさ。——いずれにしろ、それはアンが決めるべきことなのかもしれない。あの子の人生だからな」
「……確かにそうかもな……」
 ソワレは静かに両手で顔を覆った。
「……たぶんアンは、オレたちが考えているより、もうずっと大人なんだ。いつまでもガキじゃねえんだって思い知ったよ」
「まさかアンにボーイフレンドがいるとは思わなかった——か?」
 重苦しい空気を振り払うかのように、アルバは揶揄混じりにソワレを見やった。
「あ! べ、別にヤキモチであの優等生くんに突っかかったわけじゃねえぜ? あいつがアンをまかせていいって思えるような頼り甲斐のある男だったら、オレだって——」
 慌てて否定しにかかったソワレの表情の変化が面白くて、アルバはついつい笑ってしまった。
「……そういうことにしておこうか」
「お、おい! なんだよそのいい方はよ! 兄貴、絶対誤解してるぞ!」
「誤解などしていないが」
「してるって! ほら見ろ、その意味ありげな笑い方とか!」
「していないといっている」
「してるだろ!」
 そんなふたりのやり取りは、起きてからリンゴひとつしか食べていないソワレの腹の虫が盛大に鳴き始めるまで続いた。

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