オリジナルサイドストーリー CLOSE
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〈5〉

 次の日になっても、アンは部屋にこもったきりだった。すでに時刻は昼近い。
「おいソワレ、おまえ、どーしてくれんだよ?」
「ゆうべっからロクなモン食ってねえんだぞ、こっちは?」
「ったく、これじゃ今夜のパーティーだってお流れだぜ」
 アンが出てこないのがソワレのせいだと知ったノエルとギャラガーが、ソワレの部屋へと乗り込んできて、冷蔵庫の中にあったリンゴやビールを勝手に拝借している。すぐに腹を空かせるソワレのために、きのうアルバが買ってきてくれた食料だが、自分のせいだという負い目があるソワレも食うなとはいえず、ただ申し訳なさそうに首をすくめている。
「そのへんで許してやってくれないか」
 そこへやってきたアルバは、部屋の隅にあるテーブルのひきだしを開け、中から数枚のドル札を掴み取った。
「え? あ、兄貴、それ、オレの——」
 ソワレのそのうったえを無視し、アルバは自分の懐から取り出した紙幣と合わせてギャラガーに握らせ、
「とりあえず、これで何か食べてくるといい。帰ってくるまでには何とかしておく」
「お! さっすがアルバ、ソワレと違ってオトナじゃん!」
 ギャラガーの手もとを覗き込み、ノエルが口笛を吹く。ファーストフードで少し遅めの朝食を食べるぶんには充分すぎるこづかいだった。
「ちょっ……お、オレの金——」
 未練がましいソワレの口をふさぎ、アルバはつけ足した。
「ギグジーたちも誘ってやるといい」
「OK、それじゃアパートにいる連中はみんな連れてくわ。……アンのこと、まかせたぜ」
 ギャラガーは紙幣の束をふたつに折りたたんで革ジャンのポケットに押し込み、アルバにウインクしてソワレの部屋を出ていった。
「よっしゃあ! きょうは朝からキャサリンに会えるぜ!」
 拳を握って小さくガッツポーズを取り、ノエルもそれに続く。
 アルバとふたりで部屋に取り残されたソワレは、ひきだしの中を確認し、情けない声をあげた。
「あ、兄貴……ひでェよ……」
「文句をいうな。アンの機嫌をそこねたのはおまえだろう?」
「そりゃそうだけど——」
「このくらいでどうにかなるのなら安いものだと思え」
「え? ど、どうにかなるのか?」
「どうにかなるんじゃない。どうにかするんだ」
 アンの怒りを解かなければ、夕食もまたソワレがノエルたちに奢るはめになると言外に警告し、アルバはソワレをともなってアンの部屋に向かった。
 料理をしたりお茶を淹れたり、そうした日常のことをアンがやってくれなくなったキッチンは、けさの冷え込みのせいもあってやけに寒々としている。
 アルバは管理人室のドアをそっとノックした。
「私だ、アン。起きているか?」
 アルバがドア越しに声をかけても、アンからの返事はない。
 アルバに肘で小突かれ、今度はソワレが声をかけた。
「あ〜……お、オレだよ、アン。き、きのうはホント、悪かった。だからよ、そろそろ機嫌直して顔を見せてくれねえか? みんな心配してるしよ」
 アルバとソワレはドアに耳を押しつけるようにしてアンからの返事を待ったが、やはりひと言も返ってこない。
 ソワレは眉をひそめ、ボリュームを抑えた声でアルバにいった。
「……ひょっとしてまだ寝てんのかな?」
「おまえといっしょにするな。アンはそこまでいぎたなくない。この時間なら起きているはずだ」
「じゃあどうして返事がねえんだよ?」
「それだけ怒っているということなんじゃないのか?」
「うっ……そ、それをいわれると……」
 ソワレは言葉に窮してうつむいた。
「おい、アン——」
 アルバがもう一度ノックしようとした矢先、ドアが開いて、その隙間からアンが顔を出した。
「あ、アン……!」
 ようやくアンが出てきてくれたというのに、何をいっていいのか判らないのか、ソワレは口をぱくぱくさせるばかりでそれ以上の言葉が続かなかった。
 そんな弟に代わり、アルバはあくまでいつものトーンを崩すことなく、サングラスをはずしてアンに挨拶した。
「おはよう、アン」
「……おはよう」
 憮然とした表情で応じたアンは、ゆうべよほど泣いたのか、目もとがかすかに赤く腫れているようで、着ている服もきのうと同じだった。
 アンにはばれないよう、ソワレの脛を軽く蹴飛ばし、アルバはいった。
「少しいいかな? ソワレがきのうのことを謝りたいといっているんだが」
「そっ、そう! そうなんだ、アン! きのうはオレ、つい——」
「……別に謝ってくれなくてもいい」
 弱々しく首を振り、アンはソワレの言葉をさえぎった。
「ええっ!? そ、それってもしかして、オレのことを許してくれねえって意味か!?」
「ううん、そうじゃないの」
 廊下へ出てきたアンは、閉ざしたドアに寄りかかり、自分の靴の爪先を見つめて呟いた。
「……きのうはついカッとなってソワレのこと怒鳴っちゃったけど——落ち着いて考えてみたら、トニーがああいう態度に出るのは当たり前なんだなーって……そうよね。ギャングって聞いたら、ふつうは怖がるはずだもの」
「アン……」
「あ、でも誤解しないで」
 ソワレの声が暗く沈んだことに気づいたのか、アンは顔を上げ、無理に作ったような笑顔を浮かべた。
「わたし、別にここの暮らしがイヤだっていってるんじゃないの。……ママとの思い出がたくさん残ってるこの場所が、わたしはとっても好き。それに、アルバやソワレや、みんなのことも大好きよ。〈サンズ・オブ・フェイト〉の仲間たちに囲まれて育ったってことが、わたしには何よりも嬉しいの」
「そ、そうか……おまえがそれでいいんだったら、まあ……」
 ソワレはアルバと顔を見合わせ、ほっと安堵の吐息をもらした。
「け、けど、おまえ、あの優等生くんのことが好きだったんじゃないのか?」
「トニーのことはもういいわ。彼って、頭がよくてやさしいけど、そそっかしい上にケンカとかホントにダメで臆病だから、……たぶん、もうここには——」
「あれ? ひょっとしてぼくの話?」
「うわ!?」
「きゃっ!?」
 いきなり後ろのほうから飛んできたのんびりとした声に、ソワレとアンはぎょっとして振り返った。見れば、ダッフルコートを着込んだ眼鏡の優等生——トニー・マーカスが、きょとんとした表情でキッチンのところに立っている。
 アルバはサングラスを押し上げ、
「唐突だな……ひょっとして、きみがトニーか?」
「はい! ぼく、トニー・マーカスといいます! あなたがアンのお兄さん代わりのアルバさんですね?」
「そうだが……」
 差し出された少年の手を握り返し、アルバは首をかしげた。まさかトニーがもう一度ここへやってくるとは思っていなかったのである。
 それはアンも同じだったようで、嬉しいような驚いたような、複雑な顔をしている。
「と、トニー……あなた、どうしてここに……?」
「いやだなあ、きのういったじゃないか。心の準備をして出直してくるって」
「はァ? あれってそういう意味だったのかよ? オレぁてっきり——」
「やだなあ、ソワレさん」
 今ひとつ冴えないヘアスタイルの頭をかきながら、トニーはあっけらかんと笑った。どこか気恥ずかしげな——照れ隠しのためにあえて大袈裟にしているような、それはそんなことを思わせる笑い方だった。
「——ギャングと聞いたくらいじゃアンに対するぼくの愛は揺らぎませんよ! きのうはちょっと驚いただけです! ええ、ホント!」
「ちょ、ちょっと! どさくさにまぎれて何いってるのよ、トニー!」
 アンは顔を真っ赤にしてトニーの肩を叩いた。だが、怒っているのは口先だけで、その顔はとても嬉しそうだった。
 ソワレはアルバの肩に手を回し、
「おいおい、どうするよ、兄貴? この優等生、こんなこといってるぜ?」
「そうだな……アンの保護者としては、はいそうですかと素直に交際を認めるわけにはいかないな」
「ええっ! そ、そんな——」
 いつの間にか自分をはさみ込むような位置に移動してきたアルバとソワレを交互に見やり、トニーは声をうわずらせた。
「きみは少し細すぎるな」
 トニーの胸板を軽く拳で叩き、アルバがそういうと、ソワレもトニーの背中を気安げに叩きながら、
「そうそう、どうにも頼りねえんだよな」
「この世の中、力がすべてというつもりはないが、せめてアンを守れるだけの腕力くらいはつけてもらいたいものだ」
「ちょっ、ええ!? ぼ、ぼくは肉体派っていうより頭脳派っていうか……あ、アン〜! きみからも何かいってよ〜!」
 ふたりのギャングに品定めをされていたトニーは、半泣きになってアンに助けを求めた。
 しかし、アンから返ってきたのは、愛情に満ちた厳しいひと言だけだった。
「がんばってね、トニー」
「そっ、そんなぁ〜!」

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