〈2〉
シュヴァルツヴァルトにいだかれたこの土地では、星空はまだ都会ほどに毒されていない。
施設の高い塀の上によじ登ったソワレは、星の降るような夜空を見上げて感嘆の声をもらした。
「……見なよ、にいちゃん」
ソワレの口から立ち昇る息が白い。しかし、むしろソワレの頬は興奮のためにつやつやと紅潮していた。
「すっげぇなあ——」
「ああ」
見慣れているはずの星空がやけに綺麗に見えるのは、きょうが特別な夜だからだろうか。
両足でまたぐようにして塀のてっぺんに腰を落ち着けたアルバは、飽きもせずに空を眺めているソワレを見やった。
このまま塀の内側に飛び降りれば、もとの生活に戻れる。
規則に縛られた——不自由だが、日々の食事やベッドが保証された安寧な生活。それを、少なくとも、子供でなくなるまでは続けていられる。
しかし、ひとたび外に飛び出してしまえば、たちどころにすべてを失ってしまうかもしれない。誰の庇護もなく、あたたかな食事も安らかな眠りも保障されない——その代わりに手に入るのは、自由という名の、形のない漠然としたものだけだった。
「……後悔しないか?」
「え?」
「もうここには戻ってこられないかもしれないぞ? それでもいいのか?」
「だって、ここは息が詰まりそうだっていっつもいってたじゃんか」
これまでふたりで何度も話し合ってきた。いまさらどうしてそんなことをいい出すのかと、ソワレは怪訝そうに首をかしげている。
「——オレはいいよ、にいちゃんが行くところにどこへだってついてくぜ」
「自主性がないな、おまえ」
「オレは自分自身よりにいちゃんのほうを信じてるからな。……それに、全部にいちゃんにまかせておいたほうが楽だもん」
本音を吐露してにかっと笑ったソワレは、塀の上に器用に立ち上がり、夜空に向かって両手を広げた。
「——いまさらこんなトコでおしゃべりしてたってしょうがないだろ? それより早く行こうぜ、にいちゃん!」
「そうだな。……こんなところを大人たちに見つかって連れ戻されたら死ぬより恥ずかしいかもしれない」
おたがい、荷物は肩からかけたバッグがひとつずつ。中身は施設の冷蔵庫から拝借してきた食べ物といくばくかの現金だけだ。のんびりおしゃべりなんかしていたら、この塀の上で干からびてしまう。
「なあなあ、どうせならふたりで同時に飛び降りようぜ!」
アルバの手を握り、ソワレがいった。
いつもなら、そんな子供っぽすぎる提案など一蹴するところだが、アルバも少なからず興奮していたのか、それがひどく楽しい——そして、厳粛で神聖な一種のイニシエーションのように思えた。
「……判った」
「じゃあいくぜ、にいちゃん! アイン、ツヴァイ……」
兄の賛同を得て、ソワレが声高にカウントダウンする。
「——ドライ!」
大きな壁を飛び越えて、過酷な自由への道の第一歩を刻んだふたりを、星空だけが見ている。 |