サンズ・オブ・フェイト
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〈4〉

 辛辣な冷笑家のチャンスにいわせると、フェイトという男は、脇で見ているほうが腹立たしくなってくるくらいにお人好しで、義理堅く、そして救いようのない正直者だそうだ。
 それはアルバにもすぐに判った。
 確かにその男——フェイトは、人を疑うということを知らないお人好しだった。素性の知れないアルバとソワレを自分たちが根城にしているアパートにそのまま住まわせ、頼みもしないのに食べるものを用意し、時には小遣いまでくれた。
 それは何もアルバたちに対してだけではなく、ほかの——フェイトを慕って集まってくる身寄りのない子供たちや、身体の不自由な貧しい人々、はたらこうにもはたらけない老人たちに対しても、いつも気前よく大盤ぶるまいをしてしまう。
 だから、いつまでたってもこのオンボロアパートから出られないのだ。
 ——アルバがそう皮肉ると、チャンスはさもあらんと大きくうなずいた。
「確かにおまえのいう通りだよ。あいつはな、このスラムに住む人間はみんな家族だって思ってるおめでたい野郎さ。自分を犠牲にしてでも“家族”を喜ばせたい。特にガキどもの喜ぶ顔が見たいんだとさ」
 よくいえば純粋——悪くいえば馬鹿だ。フェイトという男は、まるでこの街にはふさわしくない。この街で生きていくには考えが甘すぎる。
 やってきたその日のうちに、このサウスタウンがどんな街なのかを身をもって思い知ったアルバには、このスラムで生きていくために何が必要なのかがすぐに判った。ここで必要なのはまず強さ——さもなければ、非力さをおぎなうための狡猾さ。そのどちらかがなければ、この街では長生きできない。
 そうした人間たちのためにみずからを犠牲にすることをいとわないフェイトを、アルバは甘いと思う。
 と同時に不思議でならない。
 どうしてこんな考えの甘い——現実の見えていない理想主義者が、冷徹な現実が支配するこのスラムで、最強と呼ばれるギャングなのか、と。

 高架下のバスケットコートは、この界隈の子供たちにとっては恰好の遊び場だった。
 ひとつしかないボールを追いかけて、肌の色も年齢もばらばらな少年たちが、明るい笑い声をあげて走り回っている。ソワレもその中に混じって片言の英語で何か叫んでいたが、その姿には、不思議と違和感がなかった。
 無造作に積み上げられた古タイヤの上に座り込み、アルバは、ギプスで固められた右腕をかかえたまま、ソワレたちをじっと見ている。
「——残念だな。その腕じゃ混ざりたくても混ざれないか」
 陽気な声に振り向くと、アパートに外づけされた階段を、フェイトとチャンスが降りてくるところだった。
「遊びたいのは山々だろうが、まあ、今が大事な時期だからな。ギプスが取れるまではおとなしく養生してろ。な?」
 まるで見当違いのことをいって、頬に真新しい切り傷をつけたフェイトは、革ジャンを脱いでバスケットに興じる少年たちの中に飛び込んでいった。
「……ガキどもに混じってよくやるぜ」
 大きなあくびを噛み殺し、チャンスが呆れたように呟く。
 アルバはチャンスを一瞥し、すぐに視線を正面に戻して尋ねた。
「……“出入り”でもあったのか?」
「ああ。例の“組織”の跳ねっ返りどもが、こっちの縄張りでふざけたマネをしてくれやがったんでな」
 グロールシュを軽くあおり、チャンスはうなずいた。

 かつてこのサウスタウンを絶対的な力で支配し、北米の裏社会に巨大な帝国を築き上げた稀代の梟雄——ギース・ハワードが死んで数年。
 その後継者の座をめぐる争いには、まだ決着はついていない。大小無数の組織が入り乱れ、いつ終わるとも知れない血で血を洗う凄惨な抗争劇が今も続いている。ハワード・コネクションによって賄賂漬けにされた今の警察には、もはやギャングたちを取り締まることなど事実上不可能だった。
 マスコミは連日この手の報道を繰り返し、街の住人たちの多くは自分たちがそれに巻き込まれることを恐れている。一部の富裕層の中には、この街を嫌って新興ベッドタウンのセカンドサウスへと移り住み始めた者もいるという話だ。
 しかし、規模の差こそあれ、そうした話はさして珍しくはない。サウスタウンにかぎらず、腐りきった街は世界中どこの国にもある。
 事実、アメリカにたどり着くまでに、アルバとソワレは、そうした街をその目でいくつも見てきた。
 そしてそれゆえにアルバは、年に似合わない猜疑心の強い少年に育った。
 天真爛漫なソワレは、基本的に人を疑うということを知らない。
 ならばその代わりに——ソワレの明るさを失わせないためにも——自分が人の倍は用心深くあらねばならないのだと、アルバはそう考えている。
 だからアルバは、ソワレ以外のすべての人間を疑ってかかることにしている。

 うっすらと無精髭の生えた顎を撫で、チャンスは溜息混じりにいった。
「ゆうべはな、半年かけてようやく口説き落としたラテン系の情熱的な美女と、ふたりっきりで甘い一夜をすごす予定だったんだよ。半年だぜ、半年? それがあのバカどものおかげですべて台ナシ、それどころかむさくるしい男どもを相手にハデな殴り合いをするハメになっちまった。やってられねえぜ、まったく……」
 酒と女とギャンブルに目がない——人はこのチャンスという男をそう見るだろうが、アルバは少し違う感想を持っている。
 理想主義者のフェイトをリーダーにいただく〈サンズ・オブ・フェイト〉が、まがりなりにもこのスラムで最強と目されるグループでいられるのは、フェイト自身の腕っ節の強さもさることながら、この現実主義者がいるからだ。
 スラムに住む人々を惹きつけてやまないフェイトの陽性、カリスマ性といってもいい求心力に、組織をまとめ上げて効率的に動かすことのできるチャンスの冷徹な才覚が加わることで、〈サンズ・オブ・フェイト〉は、サウスタウンでも有数の勢力となりえている。
 フェイトだけでは、せいぜい5人、10人といった少人数のグループを引っ張ることしかできなかっただろう。逆にチャンスだけでは、その計算ずくなやり方のせいで、早晩誰もついてこなくなっていたかもしれない。
 要するに、〈サンズ・オブ・フェイト〉はフェイトとチャンスのグループなのだ。
 前髪を撫でつけ、アルバはいった。
「——けど、勝ったんだろう?」
「自慢じゃないが、オレはケンカで負けたことは一度しかないんでね」
 チャンスはにやりと笑ってアルバの視線を追いかけた。
「……それにしても、ソワレはずいぶんと元気になったみたいだな」
「ああ」
「身の振り方は決まったのか?」
「…………」
 アルバはチャンスをもう一度振り返った。
「ここにとどまる気はねえんだろ、おまえは?」
 薄い笑いをとどめたチャンスの表情は、アルバにその胸中を忖度させない。にやついた笑みの下で何を考えているか判らない——そういう意味では、フェイトよりもチャンスのほうが油断のならない相手だった。
「……あんたには関係ない」
「相変わらずガードが固いな」
 肩をすくめ、チャンスは苦笑した。
「——ひょっとして、おまえまだ、オレたちがおまえらを騙して売り飛ばそうってたくらんでるとか考えてんのか?」
「…………」
「少し考えりゃ判るだろ? もしオレたちがそんな商売に手を染めてるんだったら、真っ先にノエルを売り飛ばしてるぜ。おまえみたいな用心深いガキよりよっぽどあしらいやすいだろうからな」
 あとから聞いた話では、ノエルはアルバやソワレよりもひとつ年上の15歳だそうだ。口は回るが少しばかり臆病で、そのぶん、強くてやさしいフェイトを実の兄同然に慕っている——と、最後の部分はアルバの推測だが、たぶん、間違っていない。
 ギプスに覆われた自分の手を見つめ、アルバはいった。
「そう思わせておいて、俺たちが油断するのを待っているのかもしれない」
「用心深いのもそこまでいくと妄想だな、妄想」
 すっきりしない空を見上げたチャンスは、歯切れの悪いアルバのセリフを一笑に付した。
「——もし本当にオレたちがそういう悪党だとして、だ。どうしておまえらみたいなガキを罠にかけるのに、そんなまだるっこしいマネをしなきゃならねえんだ? もしそうしたければ、オレたちは力ずくでおまえらを眠らせて、その隙にコンテナに詰めて船に乗せることだってできるんだぜ? 頭のいいおまえに、そのくらいのことが判らねえはずねえだろ?」
 アルバはイエスともノーとも答えなかった。チャンスのいっていることがまったくの正論だからだ。

「——チャンスに何かいわれたのか?」
 10代の少年たちのタフさにさすがにつき合いきれなくなったのか、シャツの襟を伸ばして汗だくの顔をぬぐいながら、フェイトがアルバのところへとやってきた。ドラム缶の上にチャンスが置いていったグロールシュの残りで喉を潤し、大きく息をつく。
 そうしている姿は、やはりスラム最強のギャングとは思えない。いまだにアルバには、この男が鬼のような形相で闘う姿がまったく想像できなかった。
 ビールの泡を手の甲でぬぐい、フェイトはいった。
「あいつは、根は悪いヤツじゃないんだが、どうにも口が悪くてな。直言の士はうとまれるっていうが、誰に対してもズケズケとものをいっちまうんだ。そのおかげで誤解されやすいっていうか、まあ……」
「判る」
 フェイトのほうは見ずに、アルバはつっけんどんに答えた。
「チャンスがどういう人間なのかは理解しているつもりだ。誤解はしていない。……気に入るかどうかは別として」
「そうか。それならまあ……うん、いいんだ」
 一瞬、フェイトは複雑そうな表情を見せたが、すぐにいつものように明るく笑った。確かにその笑顔には、見る者をわけもなくほっとさせてくれる、春の陽射しのようなあたたかさがある。
 だが、今のアルバには、その人懐こい笑顔がどうにも腹立たしく思えて仕方がなかった。
「チャンスだって、本当はおまえのことを買ってるんだ。年に似合わない落ち着きがあって、頭もキレるってな」
「それはたぶん、可愛げのないガキだって意味だろう」
 親指の爪を噛み、アルバは小さく舌打ちした。
「やれやれ……ソワレのほうは素直なのに、おまえはアレだな、きっと頭がいいから、それで余計なことまで考えちまうんだろうな」
「うるさい。俺にかまうな。いいからさっさとどこかへ行ってくれ」
 小声のドイツ語で毒づいたが、もちろん、それはフェイトには理解されなかった。
「とにかく、今は余計なことは気にせずにゆっくり傷を治せ」
 そっぽを向いたままのアルバの頭に、重みのある手が置かれた。払いのける暇もなければ、そうしようと思う余裕もなかった。
「——ここにいるのも自由、去るのも自由だ。けど、ここにいる間は、おまえたちの面倒は俺が見てやるよ。このスラムに住む連中は、みんな俺の“家族”だからな」
「————」
 アルバの頭をぽんと軽く叩き、フェイトはふたたびソワレたちのほうへ引き返していった。
 こまごまとした実務はチャンスに任せ、自分はこうしてスラムの子供たちの相手——ずいぶんと気楽なリーダーもいたものだと、アルバは心の中で吐き捨てた。
「俺が面倒を見る——だって?」
 タイヤの上から飛び降りたアルバは、わずかに乱れた髪を整えると、グロールシュの空き瓶を掴んで振り向きざまに投げた。
「気安くいってくれる——」
 古いアパートのレンガ造りの壁に激突した瓶は、あざやかなエメラルド色のかけらとなってあたりに散った。

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